西野流と純粋理性批判とは

 今日は、1月最終の稽古日ですが、あいにく午後から雨がふってきました。

塾生も、一回坊主で来ないものをのぞいて、いつものやる気充分のものだけです。

 

 さてNHK火曜日のラジオ「午後のマリアージュ」の東京女子大学の黒崎政男さんの哲学の時間で、「カントの純粋理性批判」の話ほど面白く聴いたことはありません。

 

 私は対象に認識は従うと思っていたところ、カントの「コペルニクス的転換」によって、「認識に対象が従う」ということを教えてもらいました。

 

 虹の色を、日本人は幼稚園児でも七色というのに、アメリカ人やフランス人は六色といい、パプアニューギニア人は二色というそうですが、ソシュールの言語記号論によって言葉が世界を規定するというのです。

 

 そうすると言葉だけでなく、気の世界も気のグラデーションによって、世界が違うことは西野皓三先生を引き合いにだすまでもなく、それぞれのゆるみ具合によって違うことは身体知から明らかです。

 

 「ゆるみがわかりません」と、初級者はいつも言いますが、ゆるみのステージごとに世界が違うだけのことであり、対象を認識してないからではないのです。認識の基準が頭脳知でなく、身体知だけの話です。