下鶴西野塾たより

 今日は下鶴西野塾の稽古日です。

 

 熱心な塾生との稽古は時間を忘れます。1時間の呼吸法もあっという間です。

 対気の時間は、最初の30分は手の甲と甲を合わせてゆっくり気の交流をおこなうとみるみるうちに塾生がゆるんでくるのです。

 そして私が一段とゆるめるとあっという間にマットに飛んだり、笑いながら走りだしたりと反応するのです。

 

 後半は手を合わせずに気の交流をおこないます。手を合わせたときには考えられないような反応をみせます。まさに気は摩擦のない波動であるということがわかります。

 

 このような稽古風景を続けていますが、呼吸法を教えてほしいというなかに勘違いをしている人がいます。

 

 呼吸法は簡単なメソッドなはずだから、技法を教えてもらえれば一人でできると想っているのです。

 確かに一を知って十を知る人はいます。

 しかしからだをゆるめるという感覚を実感することはむずかしい。西野流呼吸法はそのメソッドとして呼吸法と対気を車の両輪として稽古をしていくのです。

 

 下鶴西野塾の門を何十人の方が叩きましたが、直ぐに結果(反応がない、ゆるまない)がでないことに苛立つのか続かない人がほとんどです。

 

 しかしこれは西野流呼吸法だけではありません。どんなことでも同じです。

 呼吸法は「呼吸」をするのだから誰でも、簡単にできると想っているのです。

 

 西野流呼吸法は、①ゆるむとこと、②充足することを学ぶことだというと、そう簡単にはできないと理解ができるはずです。

 

 六年、四年目の塾生は熱心に稽古をしていますが、ゆるむという実感がわかりませんといつも言っています。

 私は、「それでいいのですよ、からだがゆるんできているので無理やり頭で納得しなくても、からだはわかっています、それでいいのです」と教えています。

 

 西野流呼吸法は医療行為ではありません。からだがゆるんできたら免疫力が活発に働きだし、結果としてからだの平衡力が回復し、病気が治癒することがあるのです。