下鶴西野塾たより

 西野流と同じ呼吸をする不思議な書評を見て驚いた。

 「数学する身体」(著・森田真生)、「概念世界と一体化する」(評・青木淳)

 ???

 「自己と周辺とは一体になり、残されたからだはカオスの状態」が西野流の極意だが、数学の世界もこれと同じとは!!!


 数学者の岡潔が「わかる」ということを説明するとき、道元禅師の「聞くままにまた心なき身にしあらばおのれなりけり軒の玉水」を好んで引き合いに出した。


 『自分を失うまでに、降りしきる雨に没入する。すると、自分の内側が、雨の世界としか呼びようもないもので満たされてくる。ふと、我に返って思う。あれ、今、自分は雨になったいたような。そう気づくとき、雨の世界は消えてしまっている。でも、そこで味わった風景の襞や匂いは、記憶にありありと残っている。それが「わかる」ということ、と言うのだ。』


 今日は下鶴西野塾の稽古日です。

 対気が始まると気の会話がはじまり、異次元にワープする。

 その記憶は至福と一体化する。

 まさに西野流は身体知です。


 農作業で歩行用トラクターをバックさせたとき、トラクターと壁に挟まれ胸が圧迫されヒビが入りましたという塾生との対気はまさに至福そのもで、至福がからだと一体となり、残されたからだはカオスの状態です。