神門御神幸祭総括

 今年で3年連続して神門御神幸祭(師走祭り)に参加しました。

 

 百済王伝説に基づくお祭りですが、比木神社から90キロ離れた神門神社へ上っていくエネルギーはどこからくるのかという素朴な疑問が一段と湧いてきました。

 

 現在はバスで行くので2泊3日ですが、往時は歩いて9泊10日と気の遠くなる祭りです。行く先々の休憩所、宿泊所で祭典を行いながら、御神体を担いでいくのですから大変な長旅です。

 

 バスのなかで、その昔はここで休息した、あそこで泊まったという話を聞くと、慶んで迎えてもらえるかに祭りはかかっています。

 どの地区も過疎化が進み、賄いをする人、接待する費用が乏しくなってきており、これからどうなるかわからないと世話人のあいさつがありました。

 比木の大神様への信仰心はあってもどうにもならないことがあるのです。

 その事情は1300年の長きにわたりいつもあったと思われるが、それでも連綿と祭りは続いているのです。

 

 事情は比木神社側にもあります。神主が5名(宮司、神楽2名、太鼓・笛2名)、総代は5名(幟旗、御幣、御神体、座布団、賽銭箱5名)、お供人は7名(閏年は8名)と決まっていますが、これだけの長旅、しかも時期が大寒のなかでハードなスケジュールなので行きたくないというのは無理からぬことです。

 現在総代の定員は15名ですが、実質は10名しか活動していません。そのなかで3年以上継続しているのは5名です。

 接待を受けるためには気力、体力がなければ応えることができません。そこが祭りの最低条件です。

 

 そのように迎える側、祭りをする側双方の人的、経済的、気力、体力が備わり、お互いに絆ができ、比木神社の大神様への信仰心・信頼が醸成され、祭りに共感する阿吽の呼吸がでて初めて祭りは成り立つのです。

 

 その意味で神門御神幸祭を観てみると、百済王伝説の神門の人々との関係では、大きな信頼と絆があり、祭りを盛り上げていこうという機運はますます盛り上がっているが、途中の地区ではその機運がすぼんでいることがわかります。

 

 金ヶ浜の禊ぎ、おろし児、田中家、伊佐賀神社、塚ノ原古墳、衣淵禊ぎ、笠取、迎え火、衣替、どん太郎さん、山宮さん、せんたく、石塚、宮廻り、夜神楽、へグロ塗り、おさらば、笠つけ、へグロ洗いと、まさに百済王伝説の祭りとなっています。

 

 以上のことを認識して、神門御神幸祭を盛り上げていくにはどのような方策があるのか検討する必要があります。

 この祭りはマスコミも一面トップニュースとして取り上げており、宮崎県での知名度は上がっているが、祭りを支える比木神社の総代の強化を考えていくことが喫緊の課題です。

  • 総代の予備軍としてお供人を各地区から選ぶことを考える必要があります。
  • 祭りの主体は比木神社ですが、木城町も地方創生の起爆剤として祭りを活用することが必要です。
  • 1月23日に神門で木城町、美郷町、高鍋町、日向市、扶餘邑村、宮崎県は百済王族にまつわる伝説等を活かした取組に関する協定を締結しましたので、是非積極的に祭りを活用する方策を策定してもらいたい。