大阪道場たより

指導員との対気

 西野流呼吸法の素晴らしいとことは、「来る者は拒まず、去る者は追わず」と

対気はするが、言葉の指導は一切しないことです。

 すべてからだで覚えることです。

 

 気は顔と同じように個性があり、塾生との相性も影響するが、からだがゆるんでくると相性も変化していくから面白い。

 

 人間関係の原理が気の世界でも通用するのです。

 

 からだがゆるむと、正中線がしっかりとすることと比例し、指導員の気がどんなに強く強力でも跳ね返されることはなくなるのです。

 

 まさにからだがゆるんでいくだけなのです。

 至福のときが永遠につづくのです。

 

 対気をしていないときもしているときと同じ状態です。

  

西野先生との対気

 西野先生との対気ほど変化に富んだ対気はありません。

 同じようでもそのときによって全然違うので、これがわかる人はほとんどいないと思います。

 

 対気をみることは、対気をする以上に重要なことだが、ほとんどの人は関心がありません。

 

 気はもらうもので出すものではないと想っているからです。

 対気をみながらからだをゆるめると、気が入ってくるのです。

 

 気はアトランダムに飛び回っているが、特に対気のときは至福のときはいっそう大量に跳びまわるのです。

 西野先生との対気を見るだけで至福になれるのはそのためだが、そのことに気づいていないので、無関心なのです。

 

 オーバーフローして異次元にワープした人の気は体をゆるめさえすれば、無尽蔵に入ってくるのです。

 ゆるめることは、丹田に下ろすこととで、同時にからだに何倍も入ってくるのです。

 

 西野先生デーの週は道場にいるだけで、対気をしているのです。

 

カレー会

 インドカレーをいっしょに食べるときは、あまり難しい話はできない。

 からだがゆるむと対気ができるので、十分目的が果せているのです。

 

 そんなバカなと思われるかもしれないが、仲間と食事をするだけで至福を感じるのです。

 

 自然発生的に集まった会に入れてもらったが、からだがゆるんできているので誰が入ろうと愉しなります。

 

帰りの船旅

 ビール、白霧島

 

 カーフェリーのバイキングを食べながら、西野流の楽しかったことを話すと、至福が蘇ってきます。

 

 話が弾みすぎて、一番最初に食べ始め、最後に退場するほどでした。