みえる?

 視力が悪くメガネをかけないと見えないのに、最近ほとんど眼鏡なしの生活をしてる。

 クルマに乗るときも注意しないと眼鏡なして乗ることがあり、事故を起こしたとき問題になるのでメガネを掛けるようにしている。

 

 歳をとって視力が良くなった事実はなく、どうしてそうなったのか。

 確かにウォーキングや雨の日、農作業では、汗が滴り落ち邪魔になる。

 

 

 今もパソコンを眼鏡なしで打っているが支障を感じたことはない。

 みえるということはどういうことなのかわからなくなった。

 遠くから歩いてくる人がわからず、近づいてから認識することがあるが、それで不便を感じたことはない。

 

 顔と名前を覚えるために、見えることは関係がない。

 ハッキリみえなくてもどういう人かわかる。

 客観的に見えなくて困るのは、映画の字幕やテレビの文字がみえないことだが、

 新聞や小説を読むときは眼鏡なしで読んでいる。

 

 みえるとは、認識できればハッキリみえなくても構わないということだろうか。

 確かに、みえるという漢字に、見える、視えるという字があるが、

 観える、診えることは、いかに認識できるということか。

 

 見・視えることは、顕微鏡に連なり、望遠鏡と軌を一にする。

 観・診えることは、文芸に連なり、素粒子と軌を一にする。

 

 将棋の羽生さんがいかに読みを省略できるかが重要であるといったが、

 みえなくてもいいのだ。

 

 小人閑居して不善をなさないようにしたい。