
尾鈴山の見える場所で、定点観測を続けているが、写真を見ると違っているようで、同じであることがハッキリわかります。
ウォーキングも同じです。
歩くことを内面、外面から見ると、違っているようで、同じなのです。
歩き方を追求していくと、日によって、時間によって刻々と変わり、この歩きこそベストだと思えることも瞬時に消え、つぎからつぎへと異相が現れてきます。
ウォーキングは生活そのものだ思うと、様相がガラリと変わってきます。
ウォークが生活の手段・道具となり、手・足・頭・身体と同じになります。
今日はそんなことを考えながら楽しくウォークしました。