孫と夏休みしていたので、オリンピックのLIVEを見る機会がなかったが、
バトミントンの高橋・松友の試合を見た。
バトミントンの試合を見るのは初めて、
高橋、松友選手をテレビで見るのも初めて、
応援するというより夫婦水入らずなので自然と観戦することになった。
3セットは押され気味で、19点先取されたときはこれでオシマイかなと思ったが、あれよあれよというまに同点になり、夢遊病みたいにテレビを見ていたら勝っていた。
感じたことは、高橋も松友も一瞬の迷いもなく、頭や眼で判断したのでなく、身体が自然と反応したのだと思った。
20点の場面で、相手からスマッシュが2本続けて打たれたが、それまではことごとく決まっていたのに、目にも止まらねラケットさばきで、なんなく返したのを見て、どうしたのかと思ったら、相手がネットにかけ勝っていた。
まさに身体が自然に反応したのだと感じた。
身体で覚えるというが、脳が司令を出して身体が反応するのでなく、身体が瞬時に判断して反応したのだ。
練習や稽古と重ねることでそうなるのだが、負けたらあかんとか、勝ちたいと脳からの司令をうけると、どうしても身体で覚えたことが反応しない。
それは煩悩のなせる技で宿命である。
あまりの興奮が冷めやらず、吉田選手の決勝戦まで徹夜して見てしまった。
吉田沙保里の敗因も勝ちたいという煩悩に負けたのではないだろうか。
リネールのように、いかにブーイングがあろうとも、負けないという消極戦法もあるにはあるが、
高速タックルが父親栄勝からの遺言であれば不可能なのだ。
こんな優しい娘を持った父親は幸せものである。