今日が最後ですが、そのような気になれないのです。
気が大阪から離れないようでそれでいいのです。
西野先生との対気は、毎回毎回違ったバージョンになり、無限の悦びです。
丹田から気を下ろすことばかり考えて稽古をしていたころを思い出すと、
そういう道を通りながら一歩一歩進んでいくのだと感慨ひとしおです。
頭脳知では知ることができないことを、
からだが教えてくれるから不思議です。
西野先生との対気の「残り気」がそうさせてくれているようです。
考えられないことができるようになり、
想定外と思ってもそうではないようです。
最後の稽古は他人の対気の相手をさせられ、十分からだをゆるめてもらって対気をしました。
無尽蔵の気に包まれ、エネルギーは想像を絶するほどです。
対気が終わると、若干からだが重たい感じがするが、
気を丹田から足芯に下ろすと平常に戻ります。
西野流は、道場では自然に対気をしているのですから、
自己と周辺は一体になれるのです。