
歩くとは、西野流覚書7に書いたように、意識と表現が一体になった運動で、長いこと模索していたことが一体になりました。
ウォーキング革命の歩き方、呼吸法、幻想、スピードなど様々な観点から考えていたことが寸分の狂いもなくまとまりました。
歩くことは、西野流呼吸法とおなじであり、音楽、絵画、演劇など芸術作品も同じ働きで、感覚をビジュアルに表現することなのです。
今朝のウォーキングは、西野流の「対気」が《歩く》ことに替わっただけで、
からだがゆるむほどすばらしい音色がからだから流れてきました。
股関節も肩甲骨も、足芯、丹田などそれぞれのパーツで響き合っているのです。
こんなにも早く太古に戻れるとは思っていなかった。
まさにおかげさま、なむあみだぶつです。