
日の出が遅くなり、曇り空なので薄暗いなかのスタートになった。
からだは一点の雲もない輝くような青空、
《気が巡るとは》をブログし、昨日のウォークはまさに対気をしたような気分だったので、今日は大いに楽しみにしていた。
ベルとともに飛び起き、西野の稽古をしました。
からだに気を巡らしながら歩くと、時間から自由になり、いつの間にか比木神社に到着していた。
往路は、気をからだの隅々まで巡らしたが、
神木の母じゃと対気をしたとき、
「1〜2〜1〜2=丹田〜足芯・百会〜丹田〜足芯・百会」と対気をすると、
からだから熱い蒸気が立ち上り、母じゃと融合したのです。
神木の勇者との対気は、母じゃで会得した対気をしたが、
勇者から「1〜2〜1〜2=足芯・百会〜丹田〜足芯・百会〜丹田」と
思わぬ対気になったのです。
母者のときとは比べものにならないほど、
からだ全身から柔らかい気が立ち上り、
笑いがからだからわきあがってきたのです。
故郷に還り9年目ですが、神木から免許皆伝を授けられたと感じました。
復路は、「まーむ〜あみ〜だ〜ぶーつ=足芯・百会〜丹田〜足芯・百会〜丹田」
と対気しながら帰ったが、
道中笑いぱなしでいつの間にか帰り着いていた。
時間を意識すると短縮・効率を考えるが、
対気のときは時間は無限に拡がり、一瞬の中にいるのです。