誰でも死ぬが、早すぎるのは淋しいかぎりです。
歩苦会の仲間の通夜式に出席したが、
元気で健康に人一番気をつけていた人だけに早すぎる死に無常を感じた。
ガンであることを仲間に知らしめ、手術を何回もされたが、一切抗がん治療を拒否する勇気には、言うは易く行うは難しと頭が下がった。
蔵人米・玄米を購入し、雑穀米とあわせた食事療法をされ、
今年4月から木城西野塾で稽古をはじめ途中でやめられたが、再開を楽しみにしていた。
思い出は、長距離の歩苦もあるが、対気です。
初級者の対気は肩で相手の手を押すが、彼女は最初からからだがゆるみ、手がジンジンする気でした。
まさにからだからの叫びと思った。
西野流呼吸法は治療行為でなく、好転反応によって自己免疫を昂め、エネルギーあふれる身体にし、その結果体を治癒していくのだと想っている。
8年間木城西野塾で指導しているが、治療行為的な対気を経験したことはその対気だけです。
対気は気の交流と言っているが、まさに真剣勝負であり、気は相手のからだ(細胞)を目標に襲いかかってくることも事実です。
からだをゆるめ、充足することは、西野流の秘伝であるが、それは対気=真剣勝負のとき、気を滞留させず、交流をスムーズさせるための自己防衛でもあるのです。
安らかな冥福を祈ります。