牛に引かれて光善寺詣りではないが、
中二の孫の誕生プレゼントにミヒャエル・エンデの「モモ」を読んだ。
なぞなぞ
三人きょうだいが、ひとつ家に住んでいる。
ほんとうはまるですがたがちがうのに、
三人を見分けようとすると、
それぞれたがいにうりふたつ。
一番うえはいまいない、これからやっとあらわれる。
二ばんめもいないが、こっちはもう出かけたあと。
三ばんめのちびさんだけがここにいる、
それというのも、三ばんめがここにいないと、
あとの二人は、なくなってしまうから。
でもそのだいじな三ばんめがいられるのは、
一ばんめが二ばんめのきょうだいに変身してくれるため。
おまえが三ばんめをよくながめようとしても、
見えるのはいつもほかのきょうだいの一人だけ!
さあ、言ってごらん、
三人はほんとうは一人かな?
それとも二人?
それとも だれもいない?
さあ、それぞれの名前をあてられるかな?
それができれば、三人の偉大な支配者がわかったことになる。
三人は大きな国をおさめている
しかも彼らこそ、その国そのもの!
そのてんでは三人はみなおなじ。