好奇心があることはありがたいことで、
その時々に勉強するがなかなか理解できない分野に宗教があります。
「ひろさちや」の書物を手始めにたくさんの本を購入し、
自分なりに読み込んできたつもりでいたが理解できていません。
般若心経の空の考え方も理解していたつもりだが、
時が経つにつれ朧になりどういうことだったのか思い出せなくなっています。
先日の三洲教区研修会で「法然上人」が専修念仏に辿りついた法話を聴き、
梅原猛「法然の哀しみ」も読んでいたが、
そんな単純なことも見落としていたのかと我ながら悲しくなり、
再度ひろさちやの本を読んだら法話の内容が詳細に書いてあるのです。
古希稀なりの歳に、
「往生」(極楽に往き)と「成仏」(極楽で修行して仏になる)の違い、
法蔵菩薩が48の誓願をたて、全ての誓願を成就され阿弥陀如来になられたこと、
「全ての衆生を一人残らず極楽往生させる」18誓願は成就されているので
わたしたちは「阿弥陀仏さまお任せします。」と念仏するだけでいいのです。
単純な構図だが、
煩悩塗れの人間にはこの世では悟りを得ることができないので
阿弥陀仏に任せるという他力本願で極楽に往き、
極楽では煩悩から解放され、修行し悟り仏になるということです。
人間界では仏さんのような法然上人だが、
彼岸の世界の物差しで見ると悪人と何らかわらないと悟られ、
専修念仏だけすればいいと教えられたのです。
ありがたいことで、
円福寺本堂の右端に鎮座されているのが善導大師とわかりました。