今日は木城西野塾の稽古日です。
母は歩くこともやっとだが、気持ちに張りがでてきたので一段とゆるめて稽古をした。
稽古の途中で苦しくなったら休憩して構わないと念を押したのが良かったのか、
最後まで元気に稽古をやり通したのには「西野流」の真髄をみた。
どんなことでもピンチのときこそチャンスになる絶好の機会だと言っているが、
その真意を理解するのは難しい。
「西野流」をやっていると、気のステージが上がるときは体に変調が現れる。
今まで調子が良かったのに急に変調になり、積み上げてきたものが壊れていくようだ。
例えば、細い道に拡幅工事が行われ一時的に通行禁止になったようなものだ。
一時的な現象にとらわれず、全体の様子を眺める余裕が必要だ。
塾生に話をするがどこか遠い世界の話を聞いているようだ。